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窓ぎわのトットちゃん・トモエ学園はなぜなくなった?その後や跡地も解説

窓ぎわのトットちゃん

『窓ぎわのトットちゃん』でトットちゃんが最初の小学校を退学後、通っていたのがトモエ学園。

トットちゃんもトモエ学園が大好きでしたが、トモエ学園はなくなってしまいます。

今回は、トモエ学園がなぜなくなったのか、また、トモエ学園のその後や跡地について解説します。

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窓ぎわのトットちゃん・トモエ学園はなぜなくなった?


それでは、トモエ学園がなぜなくなったのか理由を解説します。

トモエ学園は東京大空襲で校舎が焼失

昭和20年、トモエ学園は東京大空襲で校舎が焼失しました

B29の飛行機から焼夷弾が何発も落とされ、瞬く間に炎に包まれた電車の校舎。

トモエ学園が焼けるのを息子の巴さんと見ていた校長先生は、今度はどんな学校を作ろうか?と言葉にしたそうで、教育に対する愛情や子供に対する愛情の大きさに、巴さんは驚いたそうです。

トモエ学園のその後:幼稚園だけ再建され小学校は廃校

黒柳徹子さんによりますと、トモエ学園は校長先生の私財で作った学校だった為、再興には時間がかかったようです。

戦後、校長先生は焼け跡に幼稚園を作りましたが、小学校は廃校となりました

同時期、校長先生は国立音楽大学の保育科(現在の幼児教育科)創設に強力し、その後も、国立音楽大学でリトミックを教えたり、小学校の創設のお手伝いもされたそうです。

校長先生は、自身の理想の小学校を再び作る前に69歳でお亡くなりになりました。

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トモエ学園の跡地


ここからは、トモエ学園の跡地について解説します。

記念碑を再設置


旧記念碑は1988年に建てられていましたが、その後、跡地に出店していたスーパーマーケット「ピーコックストア自由が丘店」が建て替えることになり、記念碑は自由が丘商店街振興組合が保管していました。

再び記念碑の設置が行われることになり、2023年11月24日の記念碑除幕式には黒柳徹子さんも出席され、当時を懐かしんでらっしゃったそうです。

記念碑設置場所:JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)

記念碑の設置場所は、JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)の入口付近の植栽部分

JIYUGAOKA de aoneを見た徹子さんは、近代的な建物に驚いていたようですが、空の色は昔と同じだと仰ったそうです。

 JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)施設情報
所在地 東京都目黒区自由が丘2丁目15-4
営業時間 10:00~20:00
駐車場(49台) 7:00~23:30 500円/30分※最大料金無し 2,000円以上の買い物で60分無料
駐輪場(205台) 7:00~23:30 最初の2時間無料を含む6時間毎100円
バイク(7台) 24時間 最初の2時間無料を含む6時間毎200円

※施設情報は2023年12月6日時点のものです。

まとめ

今回は、『窓ぎわのトットちゃん』のトモエ学園がなぜなくなったのか、また、トモエ学園のその後や跡地ついて解説しました。

トモエ学園がなくなった理由とその後
・トモエ学園は東京大空襲で校舎が焼失
・トモエ学園のその後は幼稚園だけ再建され小学校は廃校

トモエ学園の跡地
・記念碑を再設置
・記念碑設置場所は、JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

  1. 匿名 より:

    わたしも89歳で、トモエ学園を見たことがあります。

    • 凛 より:

      コメントありがとうございます!
      トモエ学園、きっと素敵な学園だったのでしょうね。

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