アンパンマンの生みの親として知られる漫画家・やなせたかしを支え続けた妻、小松暢(こまつ のぶ)。
彼女の生涯はNHK連続テレビ小説「あんぱん」でドラマ化されていますが、実際の小松暢の人生はドラマとは異なる部分もあります。
実は小松暢は、やなせたかしと結婚する前に別の男性と結婚していた経験があります。
大阪で生まれ、女学校時代には「韋駄天おのぶ」の異名を持つ短距離ランナーとして活躍した暢は、前夫・小松総一郎との死別を経て、高知新聞社でやなせたかしと運命的な出会いを果たします。
今回は、小松暢の前夫との出会いや別れの理由について解説していきます。
小松暢とやなせたかしは再婚!
朝ドラ「あんぱん」
— 今田美桜 Staff (@imanomiofficial) February 19, 2025
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小松暢とやなせたかしの結婚は、実は二人にとって再婚でした。
暢は大阪で生まれ、女学校卒業後に上京してから人生の大きな転機を迎えます。
やなせたかしと出会う前の暢の人生には、もう一人の重要な男性の存在がありました。
それが最初の夫となる人物です。
最初の結婚生活は短く、新婚間もなく夫は軍に召集されることとなり、太平洋戦争という時代背景が、新婚の二人に暗い影を落とすことになります。
その後、暢は終戦の時を高知で迎えるのですが、前夫については次の章で解説しています。
そして、どのようにやなせたかしと出会い結ばれたのかについては、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
前夫との出会いと別れの理由
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ここからは、前夫との出会いと別れの理由について解説します。
前夫・小松総一郎との出会い
女学校を卒業後、暢は上京し、そこで日本郵船に勤務していた小松総一郎と出会います。
総一郎は高知県高知市出身の6歳年上のエリート機関士でした。
総一郎は神戸高等商船学校(現在の神戸大学海事科学部)を卒業した秀才で、昭和11年(1936年)に日本郵船に入社しています。
2人が結婚したのは昭和14年(1939年)のことで、当時暢は20歳、総一郎は26歳でした。
総一郎はハイカラな男性で、結婚した暢にドイツ製のライカカメラをプレゼントしたり、速記の習得をサポートするなど、当時としては先進的な考え方の持ち主でした。
前夫・小松総一郎との別れ
新婚まもなく総一郎は徴兵により召集されます。
戦時中、彼は一等機関士として船上で勤務していましたが、病気にかかってしまい、その後、高知に戻って療養したものの、不幸にも帰還後3年で病死してしまいました。
因みに、暢の出生時の姓は「池田」で、総一郎と結婚してから、やなせたかしと再婚するまで名乗っていたのが「小松」です。
まとめ
今回は、小松暢の前夫との出会いや別れの理由について解説しました。
漫画家・やなせたかしの妻として知られる小松暢は、実は再婚でした。
大阪生まれの暢は、女学校卒業後に上京し、日本郵船勤務のエリート機関士・小松総一郎と結婚します。
しかし、新婚まもなく総一郎は徴兵され、戦地から戻るも病に倒れ帰らぬ人に。
その後、暢は高知でやなせたかしと出会い、再婚。
彼女の波乱に満ちた人生は朝ドラ「あんぱん」のモデルとなっています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。